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Archive for 人々と

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元気でやっとりますよ。

一昨日〜昨日はなんだかへこんでたのだけど、普段わたしはろくすっぽ連絡しないにも関わらず不思議なことにたまたまメールや電話をくれる人がいたりして、元気もらった。母が死んだすぐ後もそうだった。ありがたいす。支えられとります。それにしても不思議だー。電波でも出してるのかなー。

体調を気にかけて下さる方もいますが、昨日あまりの暑さに水3リットル飲んだせいでお腹こわした以外はすこぶる健康です(笑) ほぼ毎週会っている甥っ子1歳といっしょにもりもり食べてます(ちなみにやつは私より食べます。心配なくらい食べます)。

そんなわけで、元気っす。ご心配召さるな!

宮本浩次・追加公演でアタシも考えた〜新年のご挨拶に代えて

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話が前後しますが、新年一発目のライブは「Miyamoto Kohji LIVE ‘09〜One Day〜追加公演」でした。観られると思ってなかったのでうれしかった!

おそろしくぎゅうぎゅうで身動きとれず、一番後ろで観てたのでまあほとんど顔くらいしか見えなかったんだけども、まあそこはあれです、脳内で補完です。

昨年のライブを観た夜に興奮して買ったライブ盤の、夢見る、でもどこか大人びた子ども時代を歌った「I know・・・」という曲がとても好きになって、それを今回はリコーダーの三重奏付きで披露してくれました。リコーダーかわいいよ!ステキ!大人の男性が背中を丸めてリコーダーを吹く姿がまたほほえましく。ピアニカっぽい音もしたりしててね(違うかも)。詞の世界を私の子ども時代とも重ね合わせたりしつつ、ああ、いい曲だー、と思ったのでした。
「I know・・・」よりもうちょっと大人になった「Time」という曲も演奏されて、私この曲も好きで、うれしかったなー。あとは「umbrella」もいつか聴けるといいな。

それから「憂鬱なMonday」。別れたし、月曜だし、雨だし、やる気ないし、彼女に会いたい。そんな曲ですが、最後に、でもきっとそのうち晴れるんだろうし、できればいっつも笑っていたいし、まあ忘れるけど、雨も降るだろうし、ああ今日は雨だなあ、ってまた戻っちゃうんだけどそこが好きで、「sign of life !」と大声で一緒に歌ってきました。

アンコールの曲前に「音楽って、感情が揺さぶられますね」とおっしゃっていて、曲中も何度か鼻をすすりながら歌ってらしたので、もしかして泣いてるのかなあ、何か思うところがあったのだろうなあ、なんて勝手に思ってじーんとしました。

2回目なのでなんとなく定番の曲も分かってきました。うんうん、そうだろうそうだろう、そりゃあ聴きたいだろう、と思うような曲が中心です。「Hurry up」「だんだん」「girl friend」「雨の丘にて」「深夜TV」とかはあんまりやらないんでしょうかね?ちょっと聴いてみたいですが。「No.2〜Cotton time〜」はライブだと相当かっこいいんだろうなあ。
あとあれだ、「絶対負けない男のノート」が好きなんだ。スズメがいい、スズメ。そこが一番好き。完璧じゃないし、心配もあるし、でも絶対負けないもんねー、I was born!、って聴いてるこっちもそういう気持ちになれる歌です。いつか聴けるといいなー。

なんだろう、今回は前回にも増してライブ中わたし笑いっぱなしだった気がする。顔の筋肉おかしかったもの。よっぽど楽しかったんだな!(笑)


キーボードの河内肇さんという方が、これまた大好きな森広隆のレコーディングやライブにも参加している方で、会場でそれに気づいて相当テンション上がりました。私の大好きなアーティスト二人がこんなところでつながった!といううれしさ。

2009年は、
・宮本浩次、5年ぶりのライブ
・森広隆、7年ぶりのフル・アルバム発売
と、私にとっては復活イヤーでした。

この他にも自分や周りのことでいろいろ10数年分振り返ったりもしていたので、なんとも感慨深い1年になりました。たまたまですが、二人のデビューはそれぞれ、私の人生のキーポイントとも重なっていたりもしてましてね、単純に曲が好きだというのに加えて。だからこの二人のニュースはなんだか我がことのようにうれしかったし、テンション上がる、気合いに火の点く出来事だったのです。

続けることにしても、再び始めることにしても、どっちも大変で。私の人生で唯一続いている、絵を描いたりデザインしたりっていうこと、それを続けさせてくれている「何か」っていうのは、すべて他の誰かからもらったもので。直接の知り合いも、私が一方的に知ってるだけの人も、今年も元気いっぱいな人も、もう会えない人も。全部ひっくるめて、ああ、出会いってすばらしい!と、今更ながら思ったりしている今日この頃です。失くすことはそりゃ怖いけれど、そんなこと言ってたら楽しいことだってやって来ないっす。まったく世の中、人々、どこでつながるか分からないもので、一人一人、一日一日、大事に地道に、そして真摯に、やってけたらなあと思います。もちろん楽しくね。楽しいと思ってりゃ何だって楽しい!という少々乱暴な前向き精神で。

私からあげられるものはあるのかな?と若干(いや、かなり)不安ですけど、それでもそばにいてくれる人達に、どうもありがとう!改めて感謝!いま読んでくれているあなたも!サンキュー、フォーエバー!!!


まあ、1月もあと数分で終わりですが、
そんなことをつらつら考える年末年始でございました。

そういうわけで、「確かめよう、見つけよう、すてきなサムシング!」の精神をもって、今年も励みたいと思います。よろしくお願いします。いいうたじゃあないかサトームセン!



宮本浩次
http://miyamotokohji.com
http://miyamoto-hot.tea-nifty.com/blog/
「I know・・・」 iTunesで試聴できます。
と思ったら歌い出してすぐ試聴終わりですが・・・。

森広隆
http://morihirotaka.com/
http://morilog.exblog.jp/
最新アルバム『planetblue』 iTunesで試聴できます。
オープニングの「Desperado」からいきなりヤバいです。これを聴いてもうCD買おうと思いました。

河内肇
http://hjmnt.jugem.jp/
↑『planetblue』のキーボードはすべてこの人の音だそうです。かっこいいぜ!見た目の印象からとんがった人かと思いきや、やさしげな文章を書かれます。宮本浩次、森広隆の話題もちらほら出てきてるみたいです。

喜八

柳川喜八郎 「ブロワ城から見たロワール川」 第26回日展(1994)

柳川喜八郎 「ブロワ城から見たロワール川」 第26回日展(1994)




昨日、高校時代にお世話になった先生が亡くなったことを知りました。
長い闘病の末、今年の夏頃に旅立たれたそうです。
あまりに突然のことで、ご病気のことも全く存じ上げなかったので、悲しくてしかたありません。
ただもうなんと言っていいか、

内田百閒に、親しい人が亡くなったことを遅れて知り、そのご自宅を訪れた時のことを書いた文章があって、そこに「道徳的行為を自分の利己心の元に行った」というような感慨が書かれていた。人のためと思っている行為が、実は自分のためにやっているのだということに気づかされ、そのことが残された御遺族の癒されかけた気持ちをまた揺さぶってしまった、という、本当に悲しい文章で、それを、先生の訃報を知るほんの数時間前に読んでいて、1分前まで笑ってたのに今泣いている自分はなんだろうとか、


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↑ここまで2008.10.4記。
そのあと飲んで泣いて寝た。
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高校時代の恩師が亡くなり、本日友人と弔問に伺いました。
ご多忙の中、先生の奥様が色々なお話を聴かせて下さいました。


2006年末〜2007初め頃に体調不良で受診したところ胃にガンが見つかったそうです。そのため胃の全てとその周りの膵臓やリンパの一部などを摘出する手術を受けられました。手術後は徐々に食事もとれるようになり、半年後には普通の量の食事をとれるまでに回復されていたそうで、奥様もその食欲には飽きれたほどだそうです(何とも先生らしい・・・)。それからはご自宅にて、日展、県展、官展などへ出品する絵の制作に励まれ、買い物や食事にもよく出かけていらしたそうです。

***

ちなみに、その頃に描かれた作品はどれも評価が高かったそうで、作家として“脂がのっていた”時期だったのかなと思います。
私の知っている10〜15年ほど前の、俯瞰した構図、緻密でしっとりとした印象(上の画像のような)とは違って、ナイフでざっくりと乗せたようなタッチや、近景で白い画面の中に人物が浮き立つような構図など、作風が大きく変わっていました。大きな病気をされたことでの先生の心理的な変化とも関係があるのかな、と少し思ったりしました。
それにしても、その年齢になってもまだ変化・進化し続けられるって、まったくすばらしいことです。

***

そして2007年末に肝臓への転移が分かりましたが、既に手の施しようのない状態であると、先生と奥様そろって告知を受けられました。
体力・筋力低下の問題や、肝機能の低下により起こる記憶障害が時折あったということですが、「痛み」という意味では症状がほとんどなく、その後もご自宅で療養しながら絵の制作を続けられました。

今年、2008年7月10日(先生の誕生日でもあります)まではご自分でアトリエの階段を上がれるくらいお元気だったそうですが、それから体調が徐々に悪化し、食事をとることが難しくなったたため7月24日に入院、その5日後の7月29日に静かに息を引き取られたそうです。66歳でした。


ご自宅の隣りにカフェ・ギャラリーを開いていらっしゃいますが、療養中も色々な方が訪れていたそうで、それが大分励みになっていたんじゃないか、と奥様がおっしゃっていたのが印象に残りました。
近く、そのギャラリーにて回顧展を開く予定とのことですので、詳細が分かりましたらまたお知らせいたします。

ギャラリー&カフェ 彩喜
http://www.g-saiki.jp

また、末筆ながら
奥様には、お忙しい中、不躾にもご自宅にまで伺い、何時間もお話を聴かせていただき(おいしいものもたらふくいただき・・・)、心より感謝いたします。
ご家族皆さまのご健勝をお祈り申し上げます。


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↑ここまで2008.11.16記。
ようやくmixiとかでも報告。
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弔問からの帰り道、先生の顔や高校時代の記憶が思い出され、病気を受け入れながらの暮らしや絵を描く姿が想像されて、それを何時間かの間に一息に再体験・追体験したような気持ちがして、なんだかとても疲れていた。
先生は風貌そのままにどこまでも優しかった。でもその実かなりロックな男だったんではないかと思っている。そうでなければ死ぬまで描き続け進化し続けるなんてことはできやしないと思うのだ。字義通り死ぬまで。そういうのをまざまざと見せつけられて、恐れ入りました!やっぱり先生だ!と、でっかい存在であることを今更ながら思い知る。うちのめされる。

先生が何気なくいった一言が、私に、絵を描くことやデザインをすることを続けさせてくれている。その言葉のおかげで今までなんとかやってこれてる。ちゃんとお礼が言いたかったよ。
先生に唯一くらったお説教(と勝手に思っている。勿論そんな口調ではなかったけど)、「負け犬みたいにきゃんきゃん言ってちゃダメなんだよー」。そうだなあ、きゃんきゃんばっかり言ってるなあ、と反省。もう言いません。(・・・なるべく。)


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↑ここまで本日記。
奥様より喪中挨拶のはがき届く。お返事を書かねば。

この場をお借りしまして、

えー、この場をお借りしまして、ご挨拶申し上げたいと思います。

わたくし、
9月末日をもちまして、
5年2ヶ月勤めました会社を退職しいたしまして、
現在は無職ですニートです。
ニート、ニート、ニート・ガール・エイジ、ナウ。

そんで今日、
なんどめかの「おんだなを送る会」を開いていただき、
不覚にも泣く。


人生の財産てね、
人とのつながりです。やっぱ。

せまい世界でしか仕事できてなかったかもしれないけど、
二人三脚でがんばらしてもらった人、
一方的に助けてもらってばっかだった人、
一度しか関わらなかった人、
喫煙所で会釈したことしかなかった人、
みんなほんとに優しい人ばっかで、
そんな、いろんな一期一会で、
おんだな、みなさんに助けてもらいました。
支えてもらいました。
ほんとに、ありがとう。

何が返せたかわからないけど、
ほんとに、
お世話になりました。

好きだけで入った世界、
それはそれは大きな、
そして、
夢のある世界。
何の知識もなしに飛び込んで、
それでもこれまで、しょーこりもないわたしを、
受け止めて、
支えて、
時には守ってくださった皆さん。

ほんとうに、
心の底から、
感謝でいっぱいです。

今まで、
今の今まで、
お世話になりました。
ありがとうございました。
おんだなは、三国一の果報者です。
このご恩は一生忘れません。ほんとに。
それは、みんなが好きだから。
うちの会社が好きだから。

あざーーーっす!!!

productをつくる人

仕事でいわゆる「プロデューサー」にお会いしました。
プロデューサーと言っても、人前に出ないほうの、
でもその業界ではみんな知ってるっていうタイプ。
熊のようなおじさんです。

1:3でで向かい合って打ち合わせをしている中
「取り調べみたいだね」とかいいながらふらっと登場。
一通り話が終わったところで紹介してもらう。
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