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喜八

柳川喜八郎 「ブロワ城から見たロワール川」 第26回日展(1994)

柳川喜八郎 「ブロワ城から見たロワール川」 第26回日展(1994)




昨日、高校時代にお世話になった先生が亡くなったことを知りました。
長い闘病の末、今年の夏頃に旅立たれたそうです。
あまりに突然のことで、ご病気のことも全く存じ上げなかったので、悲しくてしかたありません。
ただもうなんと言っていいか、

内田百閒に、親しい人が亡くなったことを遅れて知り、そのご自宅を訪れた時のことを書いた文章があって、そこに「道徳的行為を自分の利己心の元に行った」というような感慨が書かれていた。人のためと思っている行為が、実は自分のためにやっているのだということに気づかされ、そのことが残された御遺族の癒されかけた気持ちをまた揺さぶってしまった、という、本当に悲しい文章で、それを、先生の訃報を知るほんの数時間前に読んでいて、1分前まで笑ってたのに今泣いている自分はなんだろうとか、


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↑ここまで2008.10.4記。
そのあと飲んで泣いて寝た。
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高校時代の恩師が亡くなり、本日友人と弔問に伺いました。
ご多忙の中、先生の奥様が色々なお話を聴かせて下さいました。


2006年末〜2007初め頃に体調不良で受診したところ胃にガンが見つかったそうです。そのため胃の全てとその周りの膵臓やリンパの一部などを摘出する手術を受けられました。手術後は徐々に食事もとれるようになり、半年後には普通の量の食事をとれるまでに回復されていたそうで、奥様もその食欲には飽きれたほどだそうです(何とも先生らしい・・・)。それからはご自宅にて、日展、県展、官展などへ出品する絵の制作に励まれ、買い物や食事にもよく出かけていらしたそうです。

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ちなみに、その頃に描かれた作品はどれも評価が高かったそうで、作家として“脂がのっていた”時期だったのかなと思います。
私の知っている10〜15年ほど前の、俯瞰した構図、緻密でしっとりとした印象(上の画像のような)とは違って、ナイフでざっくりと乗せたようなタッチや、近景で白い画面の中に人物が浮き立つような構図など、作風が大きく変わっていました。大きな病気をされたことでの先生の心理的な変化とも関係があるのかな、と少し思ったりしました。
それにしても、その年齢になってもまだ変化・進化し続けられるって、まったくすばらしいことです。

***

そして2007年末に肝臓への転移が分かりましたが、既に手の施しようのない状態であると、先生と奥様そろって告知を受けられました。
体力・筋力低下の問題や、肝機能の低下により起こる記憶障害が時折あったということですが、「痛み」という意味では症状がほとんどなく、その後もご自宅で療養しながら絵の制作を続けられました。

今年、2008年7月10日(先生の誕生日でもあります)まではご自分でアトリエの階段を上がれるくらいお元気だったそうですが、それから体調が徐々に悪化し、食事をとることが難しくなったたため7月24日に入院、その5日後の7月29日に静かに息を引き取られたそうです。66歳でした。


ご自宅の隣りにカフェ・ギャラリーを開いていらっしゃいますが、療養中も色々な方が訪れていたそうで、それが大分励みになっていたんじゃないか、と奥様がおっしゃっていたのが印象に残りました。
近く、そのギャラリーにて回顧展を開く予定とのことですので、詳細が分かりましたらまたお知らせいたします。

ギャラリー&カフェ 彩喜
http://www.g-saiki.jp

また、末筆ながら
奥様には、お忙しい中、不躾にもご自宅にまで伺い、何時間もお話を聴かせていただき(おいしいものもたらふくいただき・・・)、心より感謝いたします。
ご家族皆さまのご健勝をお祈り申し上げます。


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↑ここまで2008.11.16記。
ようやくmixiとかでも報告。
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弔問からの帰り道、先生の顔や高校時代の記憶が思い出され、病気を受け入れながらの暮らしや絵を描く姿が想像されて、それを何時間かの間に一息に再体験・追体験したような気持ちがして、なんだかとても疲れていた。
先生は風貌そのままにどこまでも優しかった。でもその実かなりロックな男だったんではないかと思っている。そうでなければ死ぬまで描き続け進化し続けるなんてことはできやしないと思うのだ。字義通り死ぬまで。そういうのをまざまざと見せつけられて、恐れ入りました!やっぱり先生だ!と、でっかい存在であることを今更ながら思い知る。うちのめされる。

先生が何気なくいった一言が、私に、絵を描くことやデザインをすることを続けさせてくれている。その言葉のおかげで今までなんとかやってこれてる。ちゃんとお礼が言いたかったよ。
先生に唯一くらったお説教(と勝手に思っている。勿論そんな口調ではなかったけど)、「負け犬みたいにきゃんきゃん言ってちゃダメなんだよー」。そうだなあ、きゃんきゃんばっかり言ってるなあ、と反省。もう言いません。(・・・なるべく。)


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↑ここまで本日記。
奥様より喪中挨拶のはがき届く。お返事を書かねば。

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  • 元部員 said

    2009-07-15 (水) 12:32:02 +0000

    はじめまして。突然の書き込み失礼します。
    喜八を師と仰ぐもので、その折は弔いにもいかせていただきました。

    このたび喜八の遺作展が催されているとのことで
    情報を集めようと、ここへたどり着きました。
    最後まで気丈に描き続けた恩師とその作風の力強い変化を知り
    大変うれしく思っております。書き留めてくださってありがとうございました。

    私もあのころの緻密な俯瞰した街並みの絵しか拝見したことがないので
    遺作展で恩師の後期の作品を見るのが大変楽しみです。
    遺作展は21日まで開催されるようです。ご縁がありましたらお会いできますよう。

  • fuzzmaster said

    2009-08-07 (金) 19:51:45 +0000

    > 元部員さん

    お返事が遅くなり申し訳ございません・・・。
    コメントありがとうございます!
    遺作展、私は会期ぎりぎりの週末に友人たちとお伺いしました。

    屋根じゃない(!)作品やスケッチ・ブック、それからご自宅に山と積んである(本当に山)習作も数々見せていただき、改めて驚きと畏敬の念を感じました。知らない喜八がいっぱいでした。なんでも作品集を作られるご予定だそうですよ。

    ギャラリーの方も、入れ替わり立ち替わりお客さんが見えて大変にぎやかでした。奥様もそうした人達に励まされたとおっしゃっておられ、たまに顔を出すことくらいしかできませんが、それが多少なりともご恩返しになっているのかな、なんて思ったりしています。

    私たちと入れ違いに元生徒さんらしき方もいらっしゃったので、mixiとこのブログくらいですが皆さんに情報をお知らせすることができてよかったなと思います。
    拝見した芳名帳には若い方とおぼしき筆跡も目立ち、「ああ!この子、1学年下の!」などと、若かりし頃の先生の自画像の前でひとしきりはしゃいで帰って参りました。


    ではでは、また何か情報があればお知らせいたしますね。

  • 高校の元教え子(女子) said

    2011-01-02 (日) 18:45:09 +0000

    昭和52年~56年の先生が在籍された高校で美術を教えて頂きました。

    私が結婚前後とそのあと数回葉書を書いて送った事がありますが。

    私が行ける時は、先生の日展の作品が楽しみで見に行かせていただいていました。

    子供も大分大きくなったので、また日展に行こうかなと思っていたところ、先生がお亡くなりになっていたとは・・。

    ただ、茫然というか、言葉もなく。

    先生は、いつも優しく柔和で素敵な先生でした。

    高校の思い出と言えば、美術の授業と今は、無いかもしれませんが、部活の他にもクラブがあって、週1度美術クラブで絵を絵を描いた事です。

    ここ数年、私もバタバタとしていて子育てや仕事に追われ先生と連絡を取れなかった事が悔やまれます。

    私は、そんなに絵画が上手ではありませんでした。
    でも、何故か私の父も油絵の道具を持っていて、私の長女はデザイン科に通っています。

    強制したのでもなく、自然に美術の方向に行ってしまいました。

    描かせようという気もなく、自然にやってる・・というのは、柳川先生の教えだったように思います。

    いつも、笑顔で柔和な先生の顔が思い出されます。

  • fuzzmaster said

    2011-01-04 (火) 16:46:28 +0000

    > 高校の元教え子(女子)さん

    コメントありがとうございます!

    そうですね、先生にしろ、親にしろ、家族にしろ、
    自分の支えである人がいなくなってしまうなんて、まったく考えもしませんよね。
    私も、知った時には涙が出てくるばかりで、
    それもなんの涙なのかよくわからないまま、ただただ泣いていました。
    それだけ自分の心の真ん中に先生が居座ってるってことなんだなあと。

    折りに触れ思い出すことでしか恩返し出来ないのが残念でなりませんが、
    それでも、こうして私のブログを見に来て下さる方が大勢いたりして、
    やっぱり多くの人の心の中で先生は今も生きているんだということが
    とても嬉しいです。


    > 描かせようという気もなく、自然にやってる・・というのは、柳川先生の教えだったように思います。

    確かに、厳しく指導、というタイプではありませんでしたね。
    でも先生ご自身はいつも絵を描いていらして。
    思い返す時はいつも、美術室の小さな椅子に座って絵を描く白衣姿が浮かびます。
    それは先生にとって自然な事だったのでしょうね。
    「“情熱”とか“かっこいい”という言葉が実は一番似合う男、喜八」
    ・・・ということを友人と幾度となく話しました。
    本人に言ってあげられればよかったなあと。
    「そう?」なんて照れ笑いする顔が目に浮かびます(笑)

    ご家族で美術になんらかの関わりをお持ちとのこと、ステキですね!
    また描いてみてはいかがでしょう?(^-^)

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