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『新選組』に対する司馬遼太郎と三谷幸喜の視点の違い。

映画『グラディエーター』と『ロック・ユー!』の共通点。
で書いた、歴史物における登場人物たちの描かれ方の違いについて。
(主人公とその仲間の“仲間”感や、正統派と現代語解釈がどうとかいうあたり)

この話を日本の時代劇の描かれ方ってことで考えてみると、司馬遼太郎が描いた小説『燃えよ剣』『新選組血風録』と、三谷幸喜の描いたドラマ『新選組!』の立ち位置と近いかもと思う。

なーんて、前々からぼんやり考えていたことを今さらまとめてみる。

司馬遼太郎の『新選組』:


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ひたすらかっこいいヒーロー(と、その他大勢)。

時代劇、歴史ものの王道的ストーリー運び。
俺が歴史を動かすんだー、と山場へ向けて駆け抜ける主人公。それが一種異様な熱気を放って、ストーリーを支配し、登場人物たちを突き動かし、そして見る側の気持ちにもなだれ込んでくる。歴史上のヒーローっていうのは昔からそうやって語り継がれ、書き残されることによって、形作られてきたんだと思います。
悪い言い方をすれば“尾ひれがついて”、“美化されて”ということにもなりましょうが、まあ何にせよ、とにかくかっこいい!のです。歴史を好きになる、知りたくなるきっかけって、まずはかっこいい!からですよね。輝かしいサクセス・ストーリー。だから人生の指針ともなりうる。大抵の社長は武将とか征服者、名参謀なんてのが大好きだしな。

でも、悲しいかな、司馬遼太郎の場合ともすればヒーロー以外は扱いがぞんざい。超が付くぞんざい。主役の土方歳三、沖田総司以外はバカか嫌なやつと斬って捨てる。土方の恋人・お雪はちゃんと書いてるのに、近藤勇の奥さん・近藤つねとかひどいっすよ。書いている本人の好き嫌いもしくは興味無し度合いをあからさまにぶつけてるんでは?という気がしてしまいます(ストーリーには必要ない人達なんだろうけどさ)。司馬遼太郎って男尊女卑の気があるんじゃないかとさえ思ったり(違ったらすみません)。

とは言え資料として残っている人物像には近いのかも知れません・・・とうっかり思ってしまうパワーが、こういう王道な歴史ものにあるのも事実。のめり込みすぎて、そうあって欲しいと思ってしまうこちら側の願望かも知れませんが、まあそこはつべこべ言わずねじ伏せられちゃいましょう、そのかっこよさに。そう読む方が楽しいし、正しい!


三谷幸喜の『新選組』:


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登場人物全員の心情を丹念に描いた「群像劇」。

ヒーローにもその仲間にも、悪役にすら、理由がある。
自分のことを振り返れば、嫌なやつだと聞いてはいたが、実際話してみると割といいやつだったっていうのはよくある話で。だから、ヒーローひとりだけではなく、集団丸ごと、その関係性の中で、より強固になったり移り変わったりする、人々の気持ちの機微を細かく描く。それが逆にヒーローの行動理由をより明確にしたりする、という効果もあります。
この点は、元々三谷幸喜が劇団の脚本家だったというのも大きく関係しているんだろうと思います。劇団員すべてに見せ場を、みたいな。言わば登場人物それぞれが自分のストーリーのヒーローなわけです。新選組全員かっこよすぎるけどね。

群像劇×時代劇っていうのは、題材が新選組であるから成立し得たわけでもありますね。普通時代劇と言ったら絶対的ヒーローのお話ですもんね、織田信長とか、武田信玄とか。日本史でああいう集団が活躍するのって、他に赤穂浪士くらいですか?(知らないです、すみません・・・)
織田信長と新選組、武田信玄と赤穂浪士、今に置き換えれば、宇宙刑事ギャバンと科学戦隊ダイナマン、松田聖子とおニャン子クラブ(全然今じゃねえ)の違い?補い合い、支え合い、影響し合い、高め合う関係?みたいな?

でも普通、テレビドラマや映画で群像劇なんて、お金かかるし大変だからやらないですよ(舞台だって大変だろうけどさ)。時代劇は嫌でも登場人物が多くなるし、史実と違うだのなんだのとイチャモンつけてくるじじいがブラウン管の向こうには山ほどいるわけで(天下の大河ドラマともなればなおのことでしょう)。三谷幸喜以前は、新選組だって、赤穂浪士だって、やっぱりヒーローは一人(土方or沖田、大石内蔵助)に集約されてたんです(・・・多分)。にも関わらずやっぱり群像劇に挑んだんだなー、三谷幸喜は。得意分野とはいえ、えらいよ、がんばったよ。


なぜ近藤を主役にしたのか、という話。

それから、三谷幸喜自身も各所で言っていたんだけれど、当時の新選組に多くの隊士たちを惹き付けた大きな理由は「近藤勇の人としての魅力」だ、っていう、その捉え方。これって数ある『新選組』ストーリーの中でも珍しいんじゃないでしょうかね?恐怖だとか威圧感だとかではない、「魅力」がキーだと。この点については司馬遼太郎の小説の中では特に触れられていないところでした。

司馬の小説では、近藤対土方・沖田についても、多摩時代からの友情や師弟関係という以上のことは書いていないように思いますし、その他隊士たちの入隊理由も、侍になりたい(運命を変えたい、尽忠報国)、手当の良さ、という以外には特に記述はなかったように思います(別の本で言及してるかも分かりませんが)。ていうか近藤はじめ、その他大勢にはほとんど触れてない・・・。土方・沖田は仲良さげなんだけどな。

そもそもこれまでの『新選組』、つまり司馬遼太郎の『新選組』の主役が、局長=集団のリーダーである近藤勇ではなかったということ自体が、ヒーローものストーリーの王道に照らせばちょっと変わった設定です。

だって普通、主役は副長じゃなくて局長だろう!ゴレンジャーだってダイナマンだって主役はレッドだろう!ってことです。水戸黄門も遠山の金さんも暴れん坊将軍も、主役は黄門で金さんで暴れん坊・・・じゃなくて将軍だろう!

メインとなる集団に属しながらもそのリーダーではない人が主役になるストーリーというのは、通常いわゆるスピンオフ作品で語られることであって、大元の作品ではないというのがほとんどなんですよね。武田信玄だって天下は取れなかったけど百万石の大名だし、源義経だって源氏の棟梁ではなかったけど弁慶をはじめとするチーム義経のリーダーだし。
なのにこれまでの『新選組』は違っていた。土方、沖田が主役だった。

このことは裏を返せば、それだけ司馬遼太郎の小説が面白くて、だからそのまま定着してしまったってことですよね。名参謀だったり、悲劇のヒーローっていう方がドラマ的要素は多いだろうから仕方ない・・・けど、ちょっと可哀相だなあ近藤勇が。実際の新選組だって知名度の高さは断トツで近藤だったはずなのに、司馬にかかればただの田舎者・・・。


さあ、なんだか分かりづらくなってきたので、この辺でまとめてみますよ。


司馬遼太郎の『新選組』:
 1. (時代劇の)王道のストーリー【絶対的ヒーロー譚】
 2. (時代劇の)王道じゃない主人公【土方or沖田】

三谷幸喜の『新選組』:
 1. (時代劇の)王道じゃないストーリー【群像劇】
 2. (時代劇の)王道の主人公【局長近藤】

ってことです。
で、ポイントなのは、『新選組』としての王道、つまり小説やドラマ・映画でみんなが知ってる新選組は、司馬の方ってこと。司馬遼太郎カバーされまくり!ということなんです。


そんななかで三谷幸喜の『新選組』は、これまで作られてきたドラマや映画と同様に司馬遼太郎の小説がベースとなってはいますが、その王道の『新選組』を歴史の奔流の中へもう一度放流してみた、泳がしてみた、っていうかんじがするんです。その上でまた一人ずつを、すくい揚げてじっくり描くことによって、視点(言い換えれば物語の軸)の置き場所・あり方をまったく変えてしまった(いわば司馬版を一旦壊して再構築したというかんじ)。ひとつはヒーローと集団という視点。もうひとつは土方or沖田と近藤の、主役という視点。視点が変われば、見えてくるものも変わりますわね。

土方or沖田個人の生き方・考え方(と、それを通して見た新選組や幕末の日本)。
というところから、

 → 1. 出自も年齢もばらばらな集団が団結して動く原動力って何?
  → 2. 近藤が兄貴・師匠・上司としての目線で見た、土方・沖田ってどうよ?
   → さらに進んで、新選組を作り上げたのが土方であるならば、
     何が土方にそうさせたのか、それは近藤だ、じゃあ近藤の何がいいのよ?

みたいなところまで、ずずずいと広がる。逆に主役は多少薄まってしまうのかも知れないけどね。司馬版「王道の新選組(の土方・沖田)」に対して、三谷版「今現在、生きてる新選組(という集団)」って言い方がしっくりきますかね。その生っぽさというかライブ感みたいなものの再生具合が。


いずれにしろ、舞台もテレビドラマも知っている三谷幸喜だからこそ世に出すことができた新解釈、新ストーリーなのだと思います。舞台ではセオリーを裏切ることなんて普通ですもんね。PR番組などでは「史実にないエピソードや登場人物というのも、前例はあるんだ」なんて必死にフォローしていたような記憶がありますが、あれはテレビ向け(時代劇ファン、新選組ファン向け)の事前教育みたいなものだったんでしょう。ごちゃごちゃ言わずにまずは一回ちゃんと見てくれよ、面白いから、と、言いたかったんでしょうねきっと。自信の表れだったんだと思います。

だいたい小説やドラマになっている時点でフィクションですからねー。見てきたわけじゃないんだからさ、どっちが正しいとかそういう話じゃないじゃんかー。本当“らしさ”はそりゃ司馬版(またはこれまでの司馬カバー版)にあるけど、三谷版(司馬再構築版)の方が実際のキャラクターに近いかも分かんないじゃないの(出演者の年齢などは実際とかなり近くなっているようですよ、みんな30歳前後ですから)。そういうのを想像力で乗り越えられない人は多少の違和感を感じたのかも知れませんね。
いやー、なんも知らなくて得したなー!(笑)


あと、さっきの松田聖子とおニャン子クラブの話。


実は関係があったのだ!自分でもびっくり!
何でそんな例を出したかというと、司馬版・三谷版の違いは、ひと昔前と今のアイドルの置かれ方の違いにも似ているかなと思うんです。
かつてのアイドルはプライベートもひた隠しにしてイメージ命、まさに手の届かない偶像(=アイドル)を作り出していた。けど、その手法はやり尽くされてきたし、それだけではファンが集まらなくなってきた。ファンの側としても、マスに対しての笑顔を眺めるより、もっと個人的なものとして、実感として、その笑顔を受け取りたいし愛したい、そういう気持ちの人が増えたんではないかと。隣りにいそうな女の子、っていうやつ。インターネットの時代だから、よりコアな方へってのもあるし。『そのとき歴史が動いた』と『プロジェクトX』の違いも一緒かも知れないですね。歴史の大偉人と尊敬できる友人や上司の違い。後者の方が“あるある”の濃度がより濃いといいますか。

そこで、素の顔をも売りにする、さらに何パターンも用意する、という売り方に変わってきた。
モーニング娘しかり、AKB48しかり、Exileしかり、なんであんなに大勢いるかっていったら、大人数であることのダイナミックさに加えて、その人数分のパターンの楽しみ方というのもできる(売る側からすれば、何パターンものファンを作り出せる)からですよね。ひょっとしたらかけ算かも知れない。
音楽番組にしても、歌うだけ、音楽トークだけのきまじめな番組よりも、素のトークや意外なキャラクターが見られる『Hey! Hey! Hey!』や『うたばん』が人気になった。その人(たち)の一面だけではなく、いろんな面を、いろんな角度から見たい、見せたい。
そして、そういうものが主流の時代になった。Smapが国民的アイドルとして今なお君臨し続けているのも、そのへんが理由でしょう?

この手法と同じで、三谷版の『新選組』も、集団を、より細かく、描くことによって、各登場人物が視聴者一人ひとりにとってより身近なものになっているんですね、司馬版と比べて。さらにいえば、感情移入がしやすくなった分、視聴者が自由に想像を膨らませることができる領域というのも増えている(入り込めば入り込むほど、どうしてそんな行動をとったんだろうとか、まるで自分のことのように考えてしまうでしょ?)。つまりそれだけ視聴者に響きやすくなっている。その相乗効果というか、ある意味送り手と受け手のコール&レスポンス的なものがより多く生まれるような仕組みになっているというところが三谷版の面白さであり、そして、この登場人物までの距離感の違いってのが、時代劇正統派に対する現代語解釈版といえるんじゃないかってことです。単純に古いとか新しいとか、だからいいとか悪いとかってことじゃないっすもちろん(伝わってますかね、この文章で・・・)。

憧れの対象であるアイドルやスター、圧倒的な才能を持つヒーローをみて誰もが受ける「うわーやっぱり違うなー、すごいなー、かっこいいなー」という何かとてつもないものに触れた感動と、一方、「あー身近にこういうやついるなー」「地味だけどこの人好きだなー」とか、「その気持ちわかるわー」とか思う、より自分の現実環境に近いリアルな感情移入具合から生まれる感動と。どっちもあっていいし、どっちも素晴らしい。
ただ、これまでテレビの時代劇を群像劇という手法でやる人がいなかったってことで、それだけでも賞讃に値するんじゃないかと→三谷幸喜。視聴率はあまりよくなかったらしいけど、視聴者の要望(これが重要!)を受けて、別途完結編まで作られたってのは、まさにこの違いにあると思います。よく知らないけど、コア・ファン多そうだー。


なんだかおかしなところまで話が飛びましたが、表題の『新選組』に対する司馬遼太郎と三谷幸喜の視点の違い(主人公とその仲間の“仲間”感や、正統派と現代語解釈がどうとか)、については、まあなんとなく、そういうことです。



ちょっと話は逸れますが、書き手のスタイルの違い。


ついでに作品自体の面白さを書いておきます。それぞれどこがいいのか。


外側か、内側か。

司馬遼太郎は目線が常に冷めていて、事の外側から書いているのに対して、三谷幸喜は俺がこの登場人物だったらどう動くか、みたいな、内側からの書き方をしてますよね。小説と芝居の違いもあるからそうなるのかな?

司馬遼太郎の登場人物は、その行動が論理的にばちっと説明できて破綻しなさそうなかんじ。すべてが主人公のために動いているというか。で主人公は、ポジティブな方向にもネガティブな方向にも、何もかも分かっていながらそれでも突き進んでしまうというか、突き進むしかないというか。ものすごい勢いなのにたんたんとブレがない。ブレがないからかっこいい。(自分にはなかなか出来ない・・・だけどいつかこうなりたい!、と見てて思う)
三谷幸喜の登場人物の方は、せっかく作家が作った道を、でもなんだか分からないけどこうしたいんだーーーって違う方向に突っ走ったり、蛇行したり。猛スピードで。(そうなんだよ、そういう訳の分からない気持ちってあるんだよなー、と見てて思う)

例えるなら、同じ時速300kmのスピード感でも、新幹線とF1の違いというか。空気の流れまで計算し尽くされた完璧なボディが、完璧に整備された線路をスッと一瞬で駆け抜ける、それを見送った後に感じる、今のは夢じゃないかと思ってしまう寂寥感のような、そんな味わいと、エンジンの熱気や煙、下手したらオイルはこぼれるわ縁石壊すわ、という後に残された、祭りの後の静けさ的な味わい。
さらには、ひとりの人物をとことんまで掘り下げて出す深みと、ほんの小さな出来事や気持ちの動きがいくつもいくつも重なり合い、絡まり合って出る深み。


同じ主題に対して、こうも違うアプローチなのに、どちらにもこれだけの奥行きがあって、見返すたびに発見があったりする。


いやー、さすがですなー。
当たり前だがすばらしいなー、あんたたち!(失礼!)



なんだかまとまってないが、おしまいです。


感想文の結論としては、司馬遼太郎も三谷幸喜もどっちも面白いぜ!あっぱれ!ってことです。物語として、政治ものやヒーロー譚が好きなら司馬遼太郎、人間好きなら三谷幸喜、がおすすめです。
私はすべての登場人物への愛を感じる三谷版がいいかなあ。みんなが「死」へと突っ走っていく終盤とか、もういくらでも泣けますよ。出演者も登場人物と一緒に成長していってるんだってかんじがあって、それで余計泣けるんだ。特に香取慎吾がどんどんよくなっていくんだなあ(周りの役者と比べてかなりのマイナス・スタートではあるんだけど、だからこそ伸びしろが大きいので、おまえがんばったよなあ!と思うのです。近藤も、慎吾ちゃんも)。惜しむらくは、屋内ではなく屋外セットでもっと撮影して欲しかったな!
いやあ、でも司馬版の土方の最期もかっこいいんだよなー。「やったよ俺は」っていう台詞がなんだかよかったんだよ。やったよ、たしかに。とにかく「土方かっこいい!」だけで最初から最後までもっちゃうんだ、この小説は。

やっぱ、どっちもいいなー!



※歴史に詳しい方からしてみればつっこみどころ満載でお送りしてきたこの文章ですが(文章的にもつっこみどころ満載ですが)、歴史解釈云々がテーマなんではなくて、あくまでも小説・ドラマ作品に対する感想文なんで、細かいことなんていーいじゃないかいーいじゃないか!


新選組関連作品


新選組といえば他にも、

・司馬遼太郎と双璧をなす子母澤寛の新選組三部作
 (読みたい)

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・新選組の生き残り、永倉新八が書いた『新撰組顛末記』
 (読みたい。なにしろ本物だからなあ)

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・新選組的にはこれまで無名の吉村貫一郎を主役にした、浅田次郎『壬生義士伝』
 (これは読んだ。これで泣かないと鬼。ラストの次郎衛の手紙が泣ける)

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・それを原作にした渡辺謙主演ドラマ『壬生義士伝』
 (これも見た。これは正統派。渡辺謙はさすがだな。嘉一郎役も素朴でいいし)

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・同じく、今をときめく『おくりびと』の滝田洋二郎監督『壬生義士伝』
 (見たい。中井貴一・佐藤浩市主演。堺雅人も沖田役でで登場)

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・沖田総司は女だった、それに言い寄る坂本龍馬という奇想天外な『幕末純情伝』
 (見た。あんまり覚えてないけど渡辺謙がふにゃふにゃしてて、牧瀬里穂がかわいい)

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・そつかこうへいによる原作。元は戯曲。
 (読んだ。確かにこれは舞台っぽい。舞台で見たらそうとう面白そうだ)

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・大島渚ワールド炸裂の映画『御法度』
 (見た。元ネタは司馬の『新選組血風録』。武田真治の沖田はとてもいいよ)

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などがあります。
古いものでは栗塚旭(三谷版では土方の盲目の兄役の人。かっこいいんだなー)が土方役で主演している『新撰組血風録』も面白そうです。市川雷蔵、三船敏郎なんてのもあります。
新撰組で検索:  http://www.amazon.co.jp/新撰……%2Ci%3Advd
新選組で検索:  http://www.amazon.co.jp/s/qid=……=新選組


・中でも一番アヤシいのが↓このVシネ。
 (小沢仁志、寺島進、白竜、 哀川翔、遠藤憲一ってだけで内容分かるよ!笑)

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